「バリカン」はどこの国の言葉か?

 最近は若者の丸刈り頭を見ることはまれで、野球少年など一部に限られる。 私が子供の頃は、育ったのが信州の田舎だったこともあり、頭といえば皆いがぐりの坊主頭で、私も小中高校時代を通して、坊主頭であった。 母が月に1回くらいの頻度で、自分の手でバリカンを操り、髪の毛をきれいに刈ってくれたものだ。 後で、「トラ刈り」と言われたこともなかったので、母の腕はそれなりに良かったのだと思う。 夏はサッパリして気持ちよかったのを覚えている。 そんなことで私の子ども時代は床屋とは無縁で、初めてプロの床屋のお世話になったのは、郷里を離れて大学生になってからであった。

 さて、床屋さんの商売道具の一つである「バリカン」が、外来語であることを疑う人は誰もいないと思う。 だが一体どこの国の言葉かどうか、「バリカン」の語源を知っている人は少ないようだ。 バリカンのことを米国ではクリッパー(clipper)、英国ではヘア・カッター(hair cutter)、ドイツではハールシェレ(Haarschere)、フランスではトンズーズ(tondeuse) ポルトガルではコルタドル・デ・カベロ(cortador de cabelo)という。 世界の主要国の言葉に「バリカン」はないのだ。

 言語学者の金田一京助(1882-1971)は、「日本外来語辞典」(1915年、上田萬年ほか編:三省堂)を編纂するに当たり、バリカンの語源を3年間、悪戦苦闘しながら徹底的に調べたが、これだけは全くわからなかったという。 しかし、とある床屋(東京の理髪店「喜多床」)を訪れた際、幸運に出会う。 店主に聞いてもわかなかったので、「バリカンそのものか、バリカンの入った箱にバリカンと書いてないだろうか」と話しかけてみた。 しばらくして出してもらった箱を見たところ、「Barriquand et Marre]の刻印を見つけたのだ。 これはフランスの製作会社「バリカン・エ・マール製作所」の会社名であり、この時初めて会社名が商品名と勘違いされて日本中へ広まったことを発見した。

 バリカンの原理を考案したのは、19世紀中期のセルビア人、ニコラ・ビズミックとされ、理容用バリカンの発明は米国の自動車会社「キャデラック社」の創業者、ヘンリー・リーランドによるとされる。 日本への最初の輸入は明治7年(1874年)、菱屋(現丸善)がフランスから両手式バリカンを輸入したのが最初とされる。 名前の由来がわかったバリカンは、当時在フランスのパリ日本公使館書記官であった長田銈太郎(1849-1889)が、明治16年(1882年)帰国の際に持ち帰った「トンズーズ」である。 このフランス製の「トンズーズ」が名前をバリカンに変え、理髪師の鳥海定吉が使い始めて全国的に普及したといわれる。この時代の舶来バリカンは高価で、理容ハサミの4倍はしたという。 国産バリカンの実用化は明治21年(1888年)、大阪の鍛冶職人、伊藤謙吉による。 第二次世界大戦後、手動バリカンは電動バリカンとなり、世界的に普及することになった。 日本以外では、現在韓国でバリカンの名前が使われている。
 
 今日から甲子園で夏の全国高校野球選手権大会が始まった。 酷暑の中、坊主頭の球児達に幸多かれと祈りたい。

  自転車の坊主頭に夏の雨           中島澄夫
  バリカンに無口となって雲の峰        辻憲
  初夏や坊主頭の床屋の子           長島肩甲
  バリカンの音心地よし夏の夢         中島澄夫
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プロフィール

中島澄夫

Author:中島澄夫
約80坪の畑を耕し、ブロッコリー、トマト、ナス、ニンニク、キュウリ、オクラ、ズッキーニ、大根、生姜、馬鈴薯、玉葱、白菜、青梗菜、小松菜、空心菜、金時草、水菜、スナックエンドウなどを自家用に栽培。近著として、「高齢者医療:健康長寿と全人的ケアをめざして」(オーム社、H20.4)など。名古屋市緑区在住。

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