京の旅・その2

 京都の旅2日目は岩倉めぐりである。 平安時代以降、多くの貴族が隠棲した地として名をはせた岩倉は、周囲を山で囲まれた閑静な土地として知られる。 先ずは京都国際会館前のバス停より洛北の岩倉実相院行きのバスに乗って終点で降りる。 

 実相院は鎌倉時代創建の門跡寺院の一つで ある。 住職は天皇家の血を引く人々が努めており、代々皇室から支援を受けて繁栄したとされ、格式の高い天台宗寺門派の寺院である。 四脚門の横に啓翁桜があり、早くも開花して見どころであった。 表に当たる東側の石庭は、「心のお庭」と呼ばれ、比叡山を借景とし、広々としたのどかな雰囲気だが、裏山を背にした西側の池泉式庭園は植え込みが多く全く趣を異にする。 2つの庭園を結ぶ通路の脇のもみじが、磨き上げられた室内の床に映りこみ、春は「床みどり」、秋は「床もみじ」と呼ばれて人気がある。 この季節は、勿論「床もみじ」の堪能である。 

 実相院近くに、岩倉具視幽棲旧宅がある。 岩倉具視(1825~1883年)は明治維新における王政復古に尽力した幕末から明治期にかけて活躍した政治家であるが、高まる攘夷運動の中で一時失脚してこの岩倉村に隠棲し、3年間居住したとされる。 旧宅が保存され、国の登録有形文化財となっている。 坂本龍馬ら幕末の志士たちが密談のため、訪れた正門は普段閉じられており、見学者は通用門から入る。 入口の管理事務所では、お茶のセルフサービスがあり、寛ぐことができた。 岩倉具視の旧宅を出て、妙満寺、円通寺、深泥池へと歩くのだが、相当の距離で、健脚が必要である。

 妙満寺は法華宗の総本山で、今回訪れた寺院では境内が最も広く、仏舎利大塔と「雪の庭」でその名を知られているが、寺は市内で何回も移築されて現在地にあり、歴史的価値は低いとみて、長居せず、近くのレストランでランチを摂り、次の円通寺へと歩を進めることにした。 

 円通寺は江戸時代初期に後水尾天皇が修学院離宮へ移る前に造営されて住んだ山荘であり、幡枝小御所とも呼ばれたところである。 12年かけて探し出した場所と言われるだけあって、庭園は比叡山を借景とした枯山水平庭で趣があり、庭に植えられた杉やヒノキの巨木を通して遠くの比叡山を取り込んだ景色は見事というほかはない。 青苔を主体に刈込と高さを上手に調和させた大小40余りの石組みの美しさが光る借景式庭園である。 入口付近には、高浜虚子の「柿落葉踏みてたづねぬ円通寺」の句碑がある。 

 円通寺を出て、さらに坂道を歩き「深泥池(みどろがいけ)」を訪ねた。 ここは数万年、もしくは数十万年前から存在しているという古い池で、中央に池全体の1/3を占める浮島がある。 その名の如く、浮島の下には水の流れが確認されており、夏には浮かび上がり、冬には沈んで冠水するという。 その特性が生かされて、ジュンサイ、モウセンゴケ、カキツバタなど多様な植物が生育している。 氷河期から生き残っている生物と温暖地の生物が共存しており、「深泥池生物群集」として国の天然記念物に指定されている。 池には、「池で乗ったタクシーの若い女性乗客が突然消えた」などのいくつかの深泥池伝説があり、ここは京都の代表的な心霊スポットだという。 内容の濃い二日間の旅であった。 

春めくや京も雀の鳴辺り  小林一茶
花の雲ふし拝み行く社かな  高浜虚子
散と見し夢もひととせ初桜  高井八菫

円通寺1
客殿より望む円通寺の借景式庭園 (2018年3月18日 撮影)

円通寺の庭
円通寺の庭園に見る根張り模様 (2018年3月18日 撮影)
 

 
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プロフィール

中島澄夫

Author:中島澄夫
約80坪の畑を耕し、ブロッコリー、トマト、ナス、ニンニク、キュウリ、オクラ、ズッキーニ、大根、生姜、馬鈴薯、玉葱、白菜、青梗菜、小松菜、空心菜、金時草、水菜、スナックエンドウなどを自家用に栽培。近著として、「高齢者医療:健康長寿と全人的ケアをめざして」(オーム社、H20.4)など。名古屋市緑区在住。

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